岡本淳の日記

洋食的思考

2022/12/10

最近友達になったヨシトシはシェアハウスに住んでいる。

シェアハウスといってもテラスハウスのようなキラキラしたものではなく、アメリカの青春映画のようなどこか退廃的な雰囲気を持った家だ。

閑静な住宅街の片隅、6LDKの大きな一軒家は表札に全く知らないどこかに住んだ大家さんの名字が書いてある。

「みんなが灰を落としちゃうから」と廊下の導線上には灰皿が置いてあり、壁のあちこちに明らかに事故でない傷跡が残っている。

 

ヨシトシと知り合ったのはそのシェアハウスの住人が主催するパーティにGRASAM ANIMALを誘ってくれたのがきっかけだった。

残念ながら予定が合わず出演できなかったのだけれども、元々Filmarksで密かに映画のレビューを読んで趣味が合いそうな予感がしてた人だったのでこちらから遊びに声をかけた。

出会った日、高円寺の飲み屋で即意気投合した。

自分の経験から、出会って即意気投合する人は長い付き合いになると確信した。

ヨシトシは実は、グラサンより前に千葉でやっていたバンドから自分のことを知ってくれていた。

関東各所に点在するスタジオを利用している高校生が渋谷のライブハウスに出演するイベントで共演していて、それで知ってくれたのだと言う。

また、僕も彼のバンドを知っていた。

その日、たくさんの高校生バンドが出演し、どれも文化祭っぽいバンド名(それは自分達も人のことを言えなかったが)で実体がわからない感じ(もっといえば苦笑してしまうようなユーモア)だった中で、ヨシトシのバンドは『Boogie Wonderland』というEarth Wind&Fireの曲名から取っていて気になっていた。確かそのイベントで唯一ライブを観た気がする。

 

不思議な繋がりに月並みだけど「世間は狭いな〜」とかぼんやり言ってると、ヨシトシがなにか閃いたような、でもちょっと申し訳なさそうな顔で「そのバンドでパーティに出演してくれないですか」と打診してきた。

 

ここで自分がやってたバンドを少しだけ紹介したい。

高校生のときやっていたそのバンドは良いバンドだった。

今聞き返すと、拙いながらも作曲やアレンジから当時の自分たちの意思が伝わってくるような。エネルギーがあった。

作曲をしていたはしももまた、出会った日に即意気投合した。

神聖かまってちゃんから音楽に入ったところが共通してたのもあるし、かまってちゃんで1番好きな曲が『男はロマンだぜ!たけだくん』であるところが共通していたことにある種の宿命みたいなものを感じた記憶がある。しかも2人ともの子のデモバージョンではなくアルバムバージョンが好きだった。

彼女の描く曲は物語的で、高校生だったし学校を舞台にした曲が多かったが、自己投影的な歌詞は少女の視点ではなく中性的な少年性も含んでいて刺さる人は確実にいたと思う。

そんなはしもがバンド末期の頃に描いた未完の曲があった。

プールをテーマに描いた『かなづち』と、19歳になったハシモが大人になった生きづらさを歌った『ミニチュアタウン』という曲だ。

その二曲のアレンジが中途半端なまま終わったことがずっと引っかかっていた。

 

話を戻そう。

そのバンドの復活を打診された自分は正直ちょっとワクワクしていた。一旦保留にして、後日ベース篠原、映像を撮ってるはっかさんと一緒にシェアハウスに行った。

2人もシェアハウスを気に入っていた。

そのシェアハウスは男女4人が住んでいる。

一緒に住んでいるのだからよくぶつかったりもしてるようだけど、そこも込みで側から見てると青春映画のワンシーンのようで、テラスハウスにはない輝きが詰まっていた。

住人の1人、シーシャとカクテル作りのうまいサクくんの言葉に感動したことがある。

「まあうちは計画より実行ですからね〜」

部屋のあちこちで花火をした跡がある家が、しかしエネルギーと輝きで満ちてる理由が全て詰まっているような気がした。

「復活、やるか」と思った。

すぐにその場ではしもに電話をかけ、はしもも「やろっか」と言った。

いつの間にかヨシトシに花火を手渡されてて火がついていた。

 

イベントまで1ヶ月ほどしかなかったので、やると決まったその場でやる曲をリストアップしてバンド名が恥ずかしかったのでイベント名と青春映画から取って『セントエルモス』と名乗ることにした。

しかし、セントエルモスにはひとつの問題があった。ギターがいないのだ。

高校生の頃、ギタリストのショーンが脱退してサポートメンバーを加えてやっていた。

ショーンは今でも仲良いので頼みたいところだったが、千葉に住んでいるので短い期間で立川で何度も集まるのは現実的に厳しかった。

ギタリスト不在で困ってると、ヨシトシが「僕やります」と手を挙げた。彼はベーシストで部屋にもギターがあった。よし、役者は揃った!と思った。

 

当時やってた曲は、技術やアイデアの面で意思やエネルギーの強さで乗り切ってたところがあった。

だから、未完の二曲はもとよりアレンジする予定だったが、他の曲も「いまならもっと良くできる気がする」とリアレンジする話になった。

新曲含め7〜9曲アレンジして、ギターのフレーズを教えなければならないので結成してからは頻繁に集まった。

なんとかアレンジを終え、ではギターのフレーズを教えようとなった時、僕は驚いた。

ヨシトシが全然ギターを弾けなかったのだ。

ひと月を切ってるなかで、緊張感が走った。

泊まり込みでフレーズを練って、 まだスタジオに入ってもいない段階で相当な時間を一緒に過ごした。

フレーズを僕が作り、ヨシトシに教えて、あとは自分で練習してもらう。

心配すぎてつきっきりで練習に付き合いたかった。

今回一回限り復活するにあたって、僕は「同窓会のようなライブ」だったり「当人たちの思い出作り」で終わりたくなかった。

結構ストイックに練習してもらった。

 

そんなこんなでスタジオリハを迎えたのだが、実はヨシトシどころかハシモも篠原も俺も全然弾けてなかった。

ヨシトシ以外の3人は正直どこか「俺らは当時も演奏してたしなんとかなるでしょ」と思っているところがあった。しかしノリが全然出ていなかった。

……やばい。それは僕以外のみんなも感じていた。

週1のスタジオだったのを増やした。自分は新曲だけ作っていたデモを全曲作ることにした。フレーズの見直しにもなるから全楽器打ち込んだ。

心苦しかったがヨシトシに求める練習量も更に上がった。

 

次のスタジオでは驚いた。

ヨシトシは激的に腕を上げていた。

それは「ギター初めて1ヶ月にしては」とかじゃなかった。ちゃんとギタリストの弾き方になっていたのだ。どんだけ時間をかけてきたのかが伝わってきた。

篠原もはしももめちゃくちゃ練習をしてきたのが伝わってきた。

段々希望が見えてきた。

ここから先は今日のネタバレになるので割愛するけど、スタジオに入る度に譜面には表れない『バンド感』みたいなものは上がっていった。

 

こんな長文になってしまって何が言いたいかというと、ひとつのライブにしても物語があるなということ。

昨日の最終調整リハではもうしっかりとバンドだったし、良いライブができる感覚がする。

ここに来るまで色々あった、、、とか思ったけどよく考えたら1ヶ月少ししか経ってない。でもそうは思えないほどいろいろやった。

だから昨夜急に、色んな人に見てほしいなという欲が出てきた。

当時観てくれた人もそうじゃない人も。

俺らは楽しむことに専念できるくらいには準備をしてきた。

あと、あのシェアハウスのエネルギーももっと色んな人に伝わってってほしい。

高校生の頃、大して意味を考えずに使ってた言葉で締めたい。

「めっちゃ良いライブするので遊びに来てください」